カテゴリー
政治 生活

「陰謀論について考えてみた」

私の周りにも、なかなか成果が出ない活動に疲弊したのかどうかはわからないが、陰謀論を語る人が何人かいる。(現に私も、ちょっと前まではそうなっていたし、今でも、陰謀論が間違っているとは思わない。) 彼らの気持ちはよくわかるが […]

私の周りにも、なかなか成果が出ない活動に疲弊したのかどうかはわからないが、陰謀論を語る人が何人かいる。(現に私も、ちょっと前まではそうなっていたし、今でも、陰謀論が間違っているとは思わない。)

彼らの気持ちはよくわかるが、陰謀論を唱え、「何をどうやっても答は既に出ている」という考え方をしてしまうことは、結局、陰謀論に飲み込まれただけのことなのだと思う。

陰謀論にも虚実が入り混じっていて、真実を語っているものもかなり多くあると思うが、選挙結果がすべて不正によりコントロールされているとか、関東に住んでいる人は、確実に放射能の影響で早死したり、子供を作っても奇形児が生まれるとかいうのは、私にはちょっと信じ難いし、第一そんなことを唱えていったい何がしたいのだろうかと思う。

危機感を持つことは大切であり、そういう観点でみれば陰謀論も大切な情報なのだけれど、疑心暗鬼になって何もしなくなってしまったら、元も子もない。

それとも「私は気付いている賢い子」という自己満足とか「巨悪の実体を暴いてやる」っていうヒロイズムとかでやってる訳じゃないよね。

自分の目や耳で確認したのならまだしも、人からの聴き伝(づて)をまるまる信じてしまうというのは、「カルト的」と言わざるをえない。

日本会議が、日本の政治をコントロールしているというのも、たぶん半分ぐらいはホントではあるけれど、CIAとかショッカーのような絶大な力を持っている訳ではない。(このことは、日本会議の研究者、菅野完さんが言われてました。)

彼らの謀(はかりごと)とは、せいぜい神社で「現行憲法が押し付けで、どれだけ問題が多いか」という、彼らの考える「事実」を知らしめるブックレットを配ったり、改憲の署名活動をする程度で、地道なことを愚直にやっているだけのことだ。(しかし、実はそれが最も効果的なやり方であることを、我々は忘れてしまっている。)

不正選挙を防ぐには、安倍さんの親戚が経営しているとかいう、ムサシの集票機のカラクリをあばくよりは、投票率を上げることの方がずっと効果があるし、現実的だ。

今の世の中を息苦しくしているおおもとは、私たちが、方向を間違えずに力を合わせて戦っていけば、いつかは絶対に倒せる相手なのだが、エセ陰謀論に巻き込まれれば、それによって力を削ぐことになってしまう。

陰謀の真贋をきちんと見る冷静な目を持つことは、重要なことだと思う。だから、陰謀論を全否定する気はない。

何よりも重要と思うのは、私たちがどんな社会を望みどんな生活がしたいのかを真剣に考え、それに向けて有効と思われることを正攻法で行うことであり、つまるところ、今できることはそれしか無いのだと思う。

もし、陰謀で潰されそうになったら、こちらだってゲリラ的な陰謀を行えば良いのだ。ベトミンはアメリカ相手にベトナム戦争をそうやって戦ってきたのだ。

当然、そんなことで世の中が簡単に変わるわけではないこともわかってはいる。それは、何十年も何百年もかかることで、実現を自分で見ることはできないかもしれない。それでも続けてやらなければならないのだ。

こんな時代に政治不信になるのは仕方がないが、それでも現代のシステムが政治によって成り立っているものである以上、政治で戦うしかない。 たとえ、その方法に勝ち目が無くてもだ。そもそもこの世の中は、勝ち負けのあるものだけでできている訳ではない。

だから、一見意味がなく思える些細なことであっても、それが有効であれば、傍観するよりは行動する道を、これからも取るつもりだし、行動している者を高みから見下すことはせずに、同じ地平に立とうと思う。

丑年生まれの自分は、クレバーでも何でもないので、そういう愚直な方法しか取れない。

そして、それが最も楽しみながらできることである。(楽しむということは、生きる上で最も大切なことなのだから。)

おわり

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です